「愛」とは?
『星の王子さま』の作者サン・テグジュペリが残した
「愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなく、いっしょに同じ方向を見ること」
という言葉は、多くの人々にとって愛や人間関係の本質を捉える名言として知られています。
自分の気持ちがうまく伝わらないことって、ありませんか?
この名言は、恋人や夫婦だけでなく、家族や友人、職場の同僚との関係など多くの人間関係にも深く応用できるヒントを与えてくれるものです。
互いに向き合うのではなく、寄り添うというスタンスが、信頼感や安心感を共に育むことなるのでしょう。
確かに、感覚的なことですが、寄り添い同じ向きを向く、自分がわかってほしい時は、そうしてもらいたい気がします。
私は常々、名言は物事の大切なポイントのまとめだと思っていて、名言探しに勤しんでいます。
この記事では、この言葉が示す「愛の形」とは何か、そしてそれをどのように日常の人間関係に活かすことができるのかを紹介します。
ジブリの宮崎駿さんもファンであることを公言しているサン・テグジュペリの名言を、じっくりと味わってみましょう。
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愛するとは「同じ方向を見つめる」こと
サン・テグジュペリのこの名言で最も大切なことは、「愛する」ということを「お互いの顔を見合わせること」ではなく「同じ方向を見ること」と表現していることです。
恋人や夫婦は、つい相手の顔をじっと見つめて愛情を確かめ合おうとしてしまいがちですが、これには危うさが潜んでいます。
イメージ的な解釈になりますが、お互いの顔を見つめ合っていると、ちょっとした意見の違いが大きくなり、自分の考えを押し付け合って、結果的に衝突に発展することになかもしれません。
一方、同じ方向を向いて、共通の目標や夢に向かって一緒に進めば、関係はより安定し、力は強くなります。
多少の意見の違いがあっても、同じ方向を見つめていれば、互いを理解し、支え合えるのです。
恋愛でも、相手と共通の目標を持ち、それに向かって共に歩む姿勢が、真の愛を築く鍵となるでしょう。
親子関係でも「寄り添い、同じ目線」を意識する
親子関係でも、サン・テグジュペリの名言は重要な教訓を提供してくれます。
親は子どもを大切に思うあまり、強く見つめて自分の思いを伝えようとします。
しかし、それが逆にプレッシャーとなり、子どもにとって負担になってしまいます。
子どもはまだ感情や思考が成長途中で、大人のような理解力や表現力を持ってはいないのです。
ここで大切になるのは、子どもに気持ちに寄り添い、彼らが見ている方向に目を向けることです。
彼らが興味を持つもの、やりたいこと、できることに共感し、同じペースで歩むことが、親子関係をより良い方向に向けていくと感じます。
「親の心子知らず」との言葉もあるように、親の立場になって初めて子供への気持ちが本当に分かるものです。
親の期待や思いは子どもに伝わりにくいものですが、子どもの成長に寄り添いながらサポートすることで、より強い信頼関係が築くことになるでしょう。
友人関係や職場でも「共に歩む姿勢」が信頼を生む
この名言は、恋愛や親子関係のみではなく、友人関係や職場での人間関係にも当てはまります。
友人関係でも、互いを理解し合うことが大切ですが、向き合うのではなく、共通の目標や価値観を持つことで、より深い絆を築けます。
友人同士が同じ趣味や目標を共有していれば、言葉がなくても互いに支え合い、自然と信頼関係が生まれるものです。
職場の人間関係でも同じことが言えます。
特にリーダーシップを発揮する場面では、部下の成長を促すために、彼らの立場に立って同じ方向を見据え、共に歩むスタンスが大切です。
ただ指示を与えるだけでなく、部下が何を考え、どう成長したいのかを理解し、寄り添うことで信頼関係が築かれます。
これにより、チーム全体に一体感が生まれ、共に成果を上げることができるでしょう。
リーダーは言葉だけでなく、自ら手本を示し、行動で示すこともまた大切です。
サン・テグジュペリの名言「愛」とは?人間関係に活かすヒント まとめ
サン・テグジュペリの「愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなく、いっしょに同じ方向を見ること」という名言は、単なる恋愛観を超えて、多くの人間関係に適用される普遍的な教えです。
恋人や夫婦、親子、友人、職場の仲間との関係において、ただ向き合うだけでなく、共通の目標や価値観を持ち、互いに寄り添いながら歩むことで、より強い絆を築けるのです。
この名言が示すように、真の愛や信頼は、同じ方向を見つめ、共に前進する姿勢から生まれるのです。
寄り添うことは、「気持ちわかっているよ」「知っているよ」と相手への理解を示すことにもつながるかもしれません。
最後に、寄り添うことの例としてアニメ「葬送のフリーレン」の一場面を紹介したいと思います。
このシーンを見た時、今回の言葉を思い出しました。
17話で、フェルンが風邪をひき、フリーレンが看病する中で、幼い頃のように手を握りるシーン。
フェルン「わたしはもうこどもではありません」
フリーレン「知っている。知っているよ」
というやりとりがありました。
具合が悪いが、子ども扱いされたくないフェルンを受け入れ、知っているけど、今は手を握り寄り添う。
これは相手を受け入れ、理解し、認めることを表現されており、まさ気持ちに寄り添った視点に立つことと言えるでしょう。
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